妻との8年戦争

子育て世代の夫婦の危機は家族の危機。私のヒッチャカメッチャカな約8年間を紹介します。

しあわせと不しあわせの間

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有名人でもない私のブログなんて誰も興味ないだろうし、

ましてや夫婦喧嘩の話なんてなおさらだから、読んでもらえるとは思っていない。

でも「出産したら妻が怒りっぽくなった」ていう人は結構いるんじゃないかな。そういう人にはきっと参考になるブログです。

 

ザックリ要約すると、

 

1. 妻が長女を出産したら、人が変わったように怒ってばかりになって、

2. 夫婦喧嘩ばかりになって、

3. 不満を日記に吐き出したら、その日記を妻に読まれて、

4. 妻が頻繁に包丁を持って暴れるようになって、

5. その度に長女が怯えて泣きわめいて、

6. 妻をひっぱたいて、

7. 妻が「離婚だ!」ってなって、

8. 夫婦カウンセリングに通って、

9. どういうわけだか私が「アスペルガー障害」を疑われて、

10. 発達障害専門の病院に通わされて、

11. 今度は私が重度のうつ病になって、

12. 1年休職して、

13. 復帰したら又喧嘩ばかりになって、

14. うつ病が悪化し始めて、

15. 「もうだめだー。家族崩壊だ・・・。」って諦めかけたけど、

16. 大逆転で仲直り出来たって話。

 

1~16までが、約8年間の出来事。

 

 

1. 妻が長女を出産したら、
  人が変わったように怒ってばかりになった。

 

「え!なんか急に冷たいんだけど・・・」

妻は長女を出産した直後、特に冷たい言い方なんてしていないのに、
私と言葉を交わした際にそう言った。

 

今考えるとあれが全ての始まりだったのかも知れない。

 

それから妻はずっとイライラしていた。ず~とだ。
そして頻繁に爆発するようになった。

 

理由は些細なことばかりで、要するに妻が私に何かを期待していて、
その期待に私が応えていないことに怒っているらしいのだ。

 

はじめの内は期待に応えてあげられていない事を反省したし応えようと努力した。
自分で言うのもなんだけど、かなりのイクメンだったと思う。

 

自分が思いつく限りの家事に育児に協力していたはずだ。

 

しかし、いくらやっても妻は変わらず怒ってばかりで、頻繁に爆発した。

 

 

 

2. 喧嘩(夫婦)ばかりになった。

 

その内「なんだかとても理不尽な怒りをぶつけられている」ように感じ、
それを今度はぶつけ返したりして、そしたらその度大喧嘩になった。

 

私の言い分はざっくり言えば、
「俺はお前じゃないんだから、言ってくれなきゃ何してほしいのか分かんない」ってこと。

 

今考えても正論に思える。

 

しかし、妻は反論されると手がつけられないほど激しく爆発した。
全く話にならない感じだった。

 

私には妻が人間的に未熟だから理不尽に爆発していうるようにしか思えなかった。(後々に理由を知ることになる)

 

 

 

3. 不満を日記に吐き出したら、
  その日記を妻に読まれた。

 

他の人は喧嘩した後、どうやって仲直りするのだろう?

 

私の子供の頃からの仲直りの方法は、こっちが先に至らなかったところを謝って、そしたら相手も至らなかったところを謝って、そうやってお互いに謝って、それで仲直りっていうのがいつもの決まりだった。

 

しかし、それが妻には通用しない。

 

喧嘩が長引いて、そのうち自分の至らなかった部分も見えてきて、そんな時には決まってこっちが先に下手に出て、至らなかったところを謝るのだけど、妻は決して謝ってこない。

 

だから「いや、いやいやいや。今謝ったけど何も一方的にこっちが悪うございましたって謝ったわけではない。そっちだって悪いところあったんじゃないの?」と言わずにはいられない。

 

そういうと、「そっちだってって必ずあなたは謝った後にくっつけるから、いっつも謝ってもらった気がしないんだ!!」と再燃する。その繰り返しになってしまう。

 

妻とはどうやって仲直りしたらいいのかわからなかった。

 

そんなんだから不満はどんどん溜まっていくわけで、どっかで吐き出さないと保たないと思って、携帯に日記を書くことにした。そこでありったけの不満を吐き出した。

 

そうやって、感情のバランスをかろうじて保っていた。

 

日記の書き始めは毎回溜まった不満を言葉汚く書き殴る感じ。怒りがおさまってきたら「あいつもそれだけ大変だってことだろう。そう考えてもっと協力しなくては・・・」的な内容で終わる。

 

不満を感じた時にそれを読み返すことで、こちらも一緒になって爆発しないように努力していた。

 

しかし、ある朝妻の様子が明らかにオカシイのだ。

 

苦しそうに顔をしかめていた。そして、

 

「携帯にあった日記を読んだ。ひどいことが書いてあった。もう無理! 離婚する!」と言い出した。

 

 

 

 

4. 妻が頻繁に包丁を持って暴れるようになった。

 

「え~!!」
「なんで勝手に人の携帯見るんだよ!?」

 

「しかも離婚って?! え~~~?!⤴︎」

 

確かに妻に読まれては困ることばかり書いてあった。ほとんど妻の悪口だ。

 

「これはまずいことになった・・・」

 

 

「いや待てよ、大抵最後には妻をねぎらうような内容で終わっていたはず。
最後まで読んだのだろうか? 最後まで読んでこの反応なのだろうか・・・?」

 

・・・最後まで読んでこの反応だった。

 

 

 

「それに、私に辛い思いをさせた妻にも悪い点があったはずだ。そんな風には考えてくれないものか・・・?」

 

・・・考えてはくれなかった。

 

 

 

妻は、表では平静を装っていて内側は不満でいっぱいという、二面性が私にあったことに強い不信感を持ったのだ。

 

 

「それを努力とは捉えてはくれないものか・・・?」

 

・・・捉えてはくれなかった。

 

 

 

その場はなんとか言いくるめて即離婚ということだけは避けられたのだが、それからはそれまで以上に頻繁に、しかもより激しく爆発し始めた。

 

具体的には、包丁を取り出して自分の腹に当てて「死んでやる!!」って叫び狂うのだ。

 

モノや壁に激しく当たりちらし、狂ったように奇声をあげるのだ。

 

 

「・・・一体何が起きているのか?妻は何かの病気ではないのか?」
私はオロオロするばかり。

 

こんなことが頻繁に起きるようになった。坂道を転げ落ちて行く感じがした。

 

この時、長女はもうすぐ2歳。妻のお腹の中には長男がいた。

 

 

5. 長女が怯えて泣きわめいた。

 

長女は私によく似ている。顔も性格も。
今では体型も似てきている。(痩せて手足がひょろ長い)

 

長女は感受性が鋭く、見ようによっては外からの刺激に弱く見える。

 

そんな長女だから、妻が包丁を持って狂ったように暴れる様子に激しくショックを受けていたように思う。

 

この時長女はもうすぐ2歳。言葉もしゃべれたし、かなりのことがわかるようになっていた。

 

だから「爆発するのはせめて長女のいないところでしてほしい」と思っていた。

 

しかし妻は長女がいようと構わず爆発した。そしてその度に、長女は激しく動揺して泣きわめいた。

 

私は長女の苦痛が、自分のこと以上に苦しく感じられて仕方なかった。耐えられないほどだった。

 

妻は包丁を持ち出して狂ったように奇声をあげ、物に当たり、それを見て長女が泣き叫んで、私はどうしたらいいのかわからなくて、ただただオロオロするばかりで・・・。それはもう修羅場だった。

 

そうこうしているうちに長男が誕生した。

 

これはとても嬉しいニュースでもあったけど、私たち夫婦にかかる負担が大きくなった出来事でもあった。

 

 

6. 妻をひっぱたいた。

 

妻は週末に爆発した。というより私が週末の妻しか知らなかっただけかもしれない。
あるいは週末は私がいたから爆発したのかも。いや、きっとそうだ。

 

はたから見れば、可愛い2歳の長女と、生まれたばかりの長男、そして愛する妻に囲まれた幸せ者に見えただろう。

 

しかし実態は毎週末のように起こる修羅場に疲弊いている日々だった。

 

それでもなんとか持ちこたえて、あれは確か長男が歩いていたからおそらく長男が1歳、長女が3歳になる頃だと思う。

 

本当にきっかけは些細な口論だった。妻がまた激しく爆発した。
それはまだ昼間だった。

 

それまでの爆発は夕方か夜で、昼に爆発するのはこれが初めてだった。

 

私の家は3階建てで、2階が居間で、妻はそこで爆発した。

 

奇声をあげながら近くにあった金属製の物干し器具をガンガン狂ったようにソファーベッドにぶつけ始めた。

 

私はとっさに動揺する長女の手を引き、まだ何もわからない長男を抱きかかえて3階に避難した。

 

しかし、これは失敗だった。1階に避難すればすぐ外に逃げることができたのに・・・。

 

3階で3人じっと様子を伺ってやり過ごすつもりだった。

 

しかし長女はひどく怯えていて、「お母さんどうしたの?何しているの?ねえお母さんどうしたの?何しているの?」と尋ねてきた。

 

「何しているんだろうね。大丈夫だよ。大丈夫。何でもないよ。」

 

でも、長女は私に尋ね続けた。「お父さん。お母さんどうしたの?何しているの?ねえお母さんどうしたの?何しているの?」

 

下からは妻のただならぬ奇声「ぎゃー、うギュアー」と、金属の「ガシャン!ガシャン!」とが響いていて、

 

隣で長女が泣きそうな顔して「お母さんどうしたの?何しているの?ねえお母さんどうしたの?何しているの?」・・・。

 

怒りがこみ上げてきた。妻に対する怒りだ。その時だけの感情じゃなくてそれまでの怒りもあったと思う。

 

「母親なのに子供を怯えさせて・・・。 何しているんだあいつは・・・。いい加減にしろ。もういい加減に・・・。」

 

殴るつもりで私は降りて行った。殴って止めさせるつもりで降りて行った。

 

そして殴った。殴ったというよりひっぱたいた。辞めるまで何回も。人を殴ったのはこれが初めてだった。

 

そして事態はさらに悪化した。

 

 

 

 

7. 妻が「離婚だ!」ってなった。

 

妻を殴ってしまって、いよいよ離婚が現実味を帯び始めた。

 

長男はまだしゃべれない。長女もまだ3歳で幼稚園にも行っていない。
そんな時に離婚するのか・・・?

 

だけどもう限界だった。もう我々だけの努力では解決できそうにない。
第三者の力を借りるほかないと思った。

 

そこで「夫婦カウンセリングを受けよう。それでもダメなら離婚を考えよう」と
妻を説得した。

 

私も妻もそれぞれにカウンセラーを探した。

 

私は近場のカウンセラーを探してきたが、妻は遠くにある夫婦カウンセリング専門のクリニック探して来た。

 

遠くても夫婦専門というところに期待して、妻の見つけてきたクリニックに行くことにした。

 

それこそ藁をも掴む思いだった。

 

しかし、この選択がこの先のさらなる困難を招くことになるのだった。

 

 

 

 

8. 夫婦カウンセリングに通った。

 

結局5回、1回3万円もする夫婦カウンセリングに通ったのだが、結論から言うと
「今の事態を招いているのは、旦那さんが奥さんの感情に共感してあげてこなかったからです。そしてこの事態を改善するには旦那さんが奥さんの感情に共感してあげることです。」という結論。

 

カウンセラーは私にだけ問題の原因があると言い、私にだけ反省を促し、私にだけ努力を促した。

 

私には受け入れ難かった。というよりそれは無理だと思った。
だって妻が一方的に怒っていて、私が一方的に怒らせているわけではない。
妻だけが限界に達してここに来ているのではなくて、私も限界だからここに来たのだ。
限界に達している私にさらなる努力を強いて、
そのいかんに全てがかかってしまうというのはとても現実的な提案に思えなかった。

 

だから「私も限界になってここに来たのだ」と率直に主張した。すると、

 

カウンセラーは呆れた様子で「どうします奥さん?」と取り合ってくれない。

 

妻も、「自分だけ反省を促されたことが不満なだけだ」と言った。

 

 

 

< ここで一息、カウンセリング講座 >

 

しかし夫婦カウンセリングに行って得たこともあった。それは共感するということ。

 

妻は「あなたが一方的に悪いから私は怒っているのだ」と怒りをぶつけてくる。

 

私からすればその主張は受け入れがたい主張だ。私が一方的に悪いわけではない。
私には私の言い分がある。

 

しかし、カウンセラーは妻の感情に共感してあげてくださいと言う。
しかも、謝らずに共感してあげてくださいと・・・。

 

この問題の答え、わかるかな? わかんない人はヤバイかも。
わからない場合私の二ノ舞になるかも。

 

妻が私以外の第三者に対して、不平不満を口にした場合、それに共感するのは簡単だ。

 

「そう、それは嫌だね。かなり癖のある人みたいだね。そんな人相手にしなければいいよ。」なんて言えばいい。

 

しかし私に不満を、それも私からすればとても理不尽と感じる不満をぶつけてきた場合、これに共感するとはどうすればいいのか?

 

妻は間違いなく私に謝罪してほしい様子だ。
「私が悪うございました」と全面的に非を認めろ!!って感じ。
しかし、それはできない。

 

それは妻の言う通り私が一方的に悪いのだと認める態度だ。そんなことはできない。
なぜならば実際そうじゃないからだ。

 

カウンセラーも、「謝らないで、共感してください。」といった。

 

ではどうすればいいのか・・・?

 

答えは、「君は僕が悪いと思っているんだね。僕が全面的に悪いと思って怒っているんだね。」と分かってあげることだそうだ。

 

腑に落ちないかもしれないけれど、少なくともカウンセリングの世界ではそう言われている。

 

・・・ハイ、カウンセリング講座はこれで終了。

 

 

 

しかし、私はカウンセリング中にどうしてもその答えが出せなかった。

 

「あなたが一方的に悪いから私は怒っているのだ」と怒りをぶつけてくる妻に共感するということが、「あなたの言う通り一方的に私が悪うございました。」と謝ることではないとしたら、一体どうしたらいいのか・・・? 

その答えが全く思いつかない私に、カウンセラーも妻も呆れ顔だった。

 

まるで思いつかない私がどこかおかしいかのような態度だった。

 

それでボソッと「・・・何か私に欠陥でもあるのだろうか?」とつぶやいたら、カウンセラーがこう言った。

 

「今は、あなたに欠陥があるかどうかはわかりません。」と。

 

しかし一方で、妻が狂ったように爆発するのだけど、病気ではなかろうか?と伝えた時に「奥さんはいたって正常です」とカウンセラーは断言していた。

 

・・・えっ それってどういうこと?

 

 

 

 

9. どういうわけだか私が
 「アスペルガー障害」を疑われた。

 

このカウンセリング後はさらに大変な事態となった。

 

妻は強い味方を手に入れたとばかりにさらに強く怒りを私にぶつけてくるようになった。まるでサウンドバッグ状態

 

私は「共感しなきゃ、共感しなきゃ」とするのだけど、うまくできない。

 

相変わらず「あなたが一方的に悪いんだ!!」と怒りをぶつけてくる妻に、どうしても自分の言い分を主張せずにはいられなかった。

 

そしてその度に「あなたはカウンセラーの言っていたこと全然わかっていない。何もわかっていない。共感しなさいって言っていたでしょ。共感してよ!しなさいよ!!!」

 

感情を強くぶつけられればこっちだって感情的になる。しかしこっちは感情的にはなってはいけないとカウンセラーに言われている。あくまでも妻の感情を受け止める役割に徹しなければならないと言われているのだ。

 

私は気が狂いそうだった。頭の中で何かがきしむような感じがした。

 

そして妻が言い始めた。「あなたは人の気持ちがわからない。きっとあなたはアスペルガーに違いない。カウンセラーも疑っていた。病院行って診断してきてくれなければ納得できない!!」

 

行く他なかった。それにその時はすっかり私も自信を失っていた。アスペルガーの特徴を見ると確かに似たところが私にはあった。それにカウンセラーは間違いなく私を疑っていた・・・。

 

私はずっと健常者として生きてきたが、先天性の障害者だったのか?

 

それから約半年間、あろうことか発達障害専門の病院に通うことになったのだ。

 

 

 

10. 発達障害専門の病院に通わされた。

 

アスペルガー障害を知らない人もいるだろうから一応説明すると、要するに先天性の障害の一種で、知的障害のない自閉症ってやつ。つまり読み書き計算は普通に出来るけど他人の気持ちを察することができないというモノ。ちなみに最近はアスペルガーとは言わず、自閉症スペクトラムというらしい。

 

約半年間通って6種類の検査をした。生育歴、家族歴、脳波検査、IQテストetc。それで、総合診断となるのだが、結果から言うと健常者「ただの人見知りです。」と言われた。

 

私が人見知りであることは知っていた。わざわざ診断してもらわなくても知っていた。ていうか物心ついた頃から知っていた。IQテストも脳波検査も必要なかった。

 

・・・なんだったんだこの半年間。

 

その結果を妻に報告すると妻は納得いかない様子だった。
「じゃあ何なの?」

 

「何なのって、だからなんでもないってことだよ」

 

妻は私たちの関係が上手くいっていないのは私の先天的な障害のせいだと思いたかったらしい。

 

あてが外れたことに、がっかりしているように見えた。

 

しかし、それと並行して深刻な病魔が私に迫っていた。

 

 

 

11. 今度は私が重度のうつ病になった。

 

夫婦カウンセリングに行く頃にはすでに限界だったのだ。限界だったから行ったのだ。そして何度もそう主張した。

 

しかし、カウンセラーにも、妻にもその主張は受け入れてもらえず、事態は私を追い詰める方向に進んでいった。

 

発達障害の病院に通い始めた頃から、体のあちらこちらに異変が現れ始めた。

 

最初はお腹の張りだった。胃かなって思って胃薬を処方してもらったり、大腸かなと思って大腸の内視鏡検査を受けたり・・・。

 

そうこうしているうちに、めまい。吐き気。頭痛。などが現れ始めて、今度は脳を疑い、さらに手足が長く正座した後のようにしびれ始めた。

 

あっちの病院、こっちの病院と、検査を受け続けたがどこへ行っても異常なしと言われた。「異常なしって言われても・・・。」

 

そしてとうとう仕事もまともにできないくらいに悪化した。
しんどくてじっとパソコンの前に座っていられないのだ。

 

何処に原因があるのかわからないから「いよいよ人間ドックか」とも思ったけど、とにかく人間ドックは費用が高い。何科に行ったら良いのかわからないけど、とにかく病院に行って自分の体に起きていることを全て相談してみようと思い、内科を受診して片っぱしから体の不調を挙げ連ねた。そしたら、

 

「それは・・・。多分内科じゃなくて、心療の方じゃないかな? だってこれ不定愁訴(ふていしゅうそ)でしょ?」

 

不定愁訴・・・?」初めて聞いた言葉だった。後で調べてわかったが、これは病名ではなく、あっちもこっちも具合が悪いと主張している状態をいうらしいのだが、大抵は心の方の問題らしいのだ。

 

「・・・これはまずいことになった。」そう思った。

 

それから、いろいろ手を打った。書き記せないほどいろいろだ。
しかし、結局ダメだった。手遅れだった。

 

私は、完全にダウンした。

 

 

 

12. 1年休職した。

 

よくヤフーの知恵袋なんかに「こんな症状があるんだけどこれってうつ病でしょうか?」なんてあるけど、そんなもんじゃない。明らかに異常事態だ。まるっきり普通の生活も送れなくなった。

 

いろいろ症状はあったけど、とにかく体力がなくなる。
大して忙しくもないのにヘトヘトで、会社からやっとの思いで家にたどり着くと、
風呂にも入れず、着替えも出来ず、ベッドに倒れこんで、
翌朝気力だけで無理やり起きて、会社に行く。そんな生活になった。

 

そんな様子を見てさすがに妻も異常だと気づいて病院を予約してくれた。

 

病院に行くと「あなたはうつ病でとても仕事できる状態ではないから、すぐに休職しなさい」と言われた。

 

そこから約1年間ドロップアウトすることになった。

 

・・・ほら、だから言ったろ。・・・限界だって。 俺だけに負荷をかけられたら俺が保たないって。

 

この一年間のことは思い出したくもない事ばかりだ。しんどい、ただしんどい1年間だった。

 

 

 

13. 復帰したら又喧嘩ばかりになった。

 

喉元過ぎれば・・・てなモノで、妻は休職中こそ平穏に振舞ってくれていたが、復帰すると元に戻り始めた。

 

私がいるとイライラするようで、不機嫌というよく分からない怒りを振りまくのだ。

 

だから私にとって家は針の筵のよう。会社にいる方がマシ。

 

だから、できるだけ妻や子供達が寝た頃を見計らって帰るようにしていた。

 

ウイークデイはそうやって回避できるけど、週末は難しい。どうしても二人顔をあわせることになり、喧嘩が頻発し始めた。

 

妻と喧嘩になった場合、どうやって仲直りすればいいのか、
相変わらずわからないでいた。

 

こっちが先に下手に出て、至らなかったところを謝っても、
妻は決して謝ってくれない。

 

ではカウンセラーが言ったように謝らずに共感するだけで仲直りできるかというとそれも出来ない。謝らないでいると、妻は必ず「謝れ!!」って強く迫ってくる。

 

そもそもカウンセリングってモノ自体が欧米から来たモノだから、その「謝るな」っていうのは欧米のやり方なんだと思う。いかにもアメリカ人の言いそうなことだ。

 

しかし私は日本人だから謝りたい。謝りあって仲直りしたいのだけど、それが妻とは出来ない。

 

強く「謝れ!!」って迫られて、こっちも謝りたいから謝るのだけれど、決して妻は謝らない。そうなるとこっちの感情が収まらない・・・。

 

私がうつ病になったのはカウンセラーの言いつけを生真面目に守ろうとして感情を抑え込んだからだと思う。だから復帰してからは我慢なんてしないでむしろ思いっきり感情を妻にぶつけることを心掛けた。

 

つまりこちらが怒りをぶつける側で妻が怒りをぶつけられる側になったのだが、そこで気づいたのだ。

強く怒りをぶつけられたら妻も共感なんてできないってことに。

 

妻も怒りをぶつけられると感情的になり自分の言い分を主張するばかり。
つまり反論するばかりで共感なんてしてくれなかった。
してくれなかったというより私と同じで出来なかったのだ。

 

これに私は震えるほどの怒りを覚えた。

 

私は共感が出来ないことでアスペルガーを疑われ、さらに自分の感情を抑え込んで共感することを強いられて、とうとううつ病になるまで追い詰められたというのに、

そこまで追い詰めた張本人の妻も
共感が出来ないとは何事だ!! 


自分が出来もしないことを
人にやれって言っていたのか!! 


自分も共感できないのなら、
俺に共感しろなんて言うな!!

 

私に共感することを強いたカウンセラーにも、
カウンセラーに同調した妻にも、
そしてそれを鵜呑みにして限界を超えてまで我慢してしまった自分自身にも
言い知れない怒りを覚えた。

 

なんて有様だろう。発達障害を疑われ、うつ病になりすっかり体を壊してしまった自分が、いかにも惨めに思えて仕方なかった。

 

そんなこんなが原因なのか、それとも抗うつ薬を減らし始めるのが早すぎたのか・・・? 何が原因かはわからないが、また体に異変が起き始めた。

 

手足がしびれる感じ。めまい。お腹の張り・・・。それでもごまかしごまかし日々をやり過ごしていた。

 

そんなある日仕事でミスが続いてしまった。
そのミスが自分でも驚くようなミスで、何度も確認したにもかかわらず、
同じところで、しかも何度も同じミスを繰り返してしまったのだ。

 

「あれ、これっておかしいぞ・・・」

 

あまり知られていないがうつ病って脳の病気で、
まるでバカにでもなったみたいに頭の回転が遅くなるのだ。
だからミスが増えたりする。

 

すぐ病院でそのことを話したら、順調に減らしてきた抗うつ薬の量を元の量にまで戻すことになった。

 

そして完全に薬の量を元に戻したにもかかわらず、ミスこそ減ったが、
その他の体の症状は一向に消えなかった。

 

これは前回ダウンした時よりまずい状況だ。
前回は抗うつ薬をこれほど多く飲んでいなかった。

 

今回はすでに薬の飲める上限に達しているにも関わらず症状が出ている。

 

「まずい。これはまずい。」
もし又うつ病で休職することになんてなったら・・・今度こそまずい。

 

 

 

15. もうだめだー。家族崩壊だ・・・。

 

休職した時、私は休職出来る日数を全てを消化してしまった。
さらにその頃の会社には色々不満があったので、
思い切って転職をして環境を変えることにした。

 

運良く良い会社に入り込めたのだが、実はうつ病の治療中だという事実を伏せて転職した。そんなこと言ったら雇ってもらえないと思ったからもあるが、それ以上に医者には半年くらいで寛解するだろうと言われていたのでそれほど重要と思っていなかったのだ。

 

しかし、そう簡単には行きそうにない。
もう1年半も経ったのにまだ病院通いだし、薬はフルに飲んでいる。

 

毎月病院に行く私に、会社も不審がり始めた。「何の病気なの?」と聞いてくる。

 

私は「ちょっと恥ずかしい病気なんで勘弁してください・・・」なんて言ってごまかし続けているのだがそれももう限界かも・・・。

 

もし又ダウンなんてしたら、今度の会社は休職させてくれないかもしれない。

嘘をついたわけではないが、うつ病であることを黙っていたわけで、
そのことで仕事を失うかもしれない。

 
そしたら、家庭崩壊どころではない。自分一人の生活すらままならなくなる。

 

私より子供達はどうなるのだろう・・・? 
ただでは済まないだろう。大変な辛い思いをさせるに違いない。

 

 

 

・・・もうダメかもしれない。

このまま家族全員一緒にいることにこだわって、離婚しないでいると、又ダウンしかねない。

 

今度ダウンしたら、仕事を失い、家を失い、家族団欒を失い、私も、妻も、そして誰より子供達が、貧困生活に陥ることは間違いない。

 

離婚が原因の子供の貧困が最近社会問題になっているが、それどころではない状況になる。

 

それなら離婚して、ダウンを回避して、陰ながら子供達を応援した方がいいのでは・・・?。そっちの方が家族全員のためになるのでは・・・?。

 

理想を言えば夫婦が仲直りして、家族全員一緒にいたいのだが、どうしたらいいのか方法が見つからない。

 

 

もう諦める他ないのかもしれない・・・。

 

 

 

 

16. そもそも何で??

 

・・・何でこうなったんだ? そんなに悪いことを私がしたのか? 一体何をしたというんだ? やったことをさかのぼってみる。

 

まず、自覚しているのは、妻を殴ったことだ。これはダメ。絶対にダメ。 理由はともかくダメ。反省しています。

 

その前は日記に妻の悪口を書いたこと。これは・・・絶対にダメってわけじゃないけれど、妻からしたら本当にショックだったろう。それは想像できる。

 

さらにその前には共感してあげていなかったこと。怒りをぶつけられてついつい反論してしまった。それが怒りを逆なでして、ことを大きくしてしまった。

 

わからないのはこの前だ。
とにかく妻が長女を出産したあたりから人が変わったように怒ってばかりになったんだ。

 

あれは一体何だったんだ? あんなに怒らせるほどの悪いことを私がしたというのか?

 

だとしたら、一体なにをしたと言うのだ・・・? 全くわからない。 

 

ずっとそれが腑に落ちないでいた。

 

 

 

・・・しかしその謎は思いもよらないところから溶けることになった。

 

 

 

 

17. ママたちが非常事態

 

「・・・これだ!!」私はNHKスペシャル「ママたちが非常事態」を見て思った。まさしく目からウロコだった。

 

それは今年(2016年)の1月に放送された。
ちなみに今年長女は小学校2年生。長男は1年生になった。

 

もったいぶらずに答えから書くことにする。

 

NHKスペシャル「ママたちが非常事態」によると、出産をすると母親の体の中では驚異的な変化が起きるそうで、その一つが“愛情を司るホルモン”「オキシトシン」が大量に分泌されること。

 

このオキシトシンが子供に対しての強い愛情を感じさせる働きがあることは以前から分かっていたのだけど、最近になってもう一つ別の働きがあることが分かったそうだ。

 

それが「子供以外の存在に対して攻撃的になる」という働きだ。

 

これは、まだ自分の身を守れない子供を守るために母親に備わっている働きだという。

 

そして子供以外の存在の中には、本来一緒に子育てをしてゆく最も身近な仲間のはずの夫も例外ではなく入るというのだ。

 

さらに、現在の日本の子育て世代の離婚実態を調査すると、
なんと子供が0~2歳のうちに離婚する率が最も高いという。

 

これは母親にオキシトシンが大量に分泌されている時期と一致するのだ。

 

つまり番組ではハッキリと断言まではしなかったが、そのオキシトシンの働きのせいで、妻が夫を頻繁に攻撃し、それがために夫婦喧嘩が頻発し、結果0~2年の間に離婚に至っているという可能性を示唆するものだった。

 

私は愕然とした。

 

私はてっきり妻が人間として未熟だから怒りの感情をコントロールできなくて怒っていたのだと思っていた。

 

あるいは何かの病気ではないかとさえ思っていた。しかしどちらも違かった。

 

自分ではどうすることもできないホルモンの働きで怒ってしまっているだけで、妻自身が誰よりも苦しんでいたのだ。 

 

 

そして私も又、やっぱり悪くなかった。

 

番組によると、母親は出産により驚異的な変化をして、子育て脳になり、
その結果子供の変化に誰よりも敏感になるそうだ。

 

しかし父親の方にはそんな驚異的な変化なんて起きない。
だから敏感な母親からすると夫はいかにも鈍感で、気が回らなくって、何をしてほしいか気づいてくれなくて、それが母親のオキシトシンの攻撃性を刺激するのだ。

 

鈍感な夫に怒りを覚えるのはわかるが、それは夫が悪いわけではない。
そもそも夫が鈍感なのではなく、
妻が敏感になったと言った方が正しいのだから。

 

 

つまり始まりは誰のせいでもなかった。 誰が悪いわけでもなかった。 原因はホルモンだったのだ。

 

私も妻も、どちらも悪くなかったというのに、我が家のこの惨憺たる状況と来たらどうだろう。 

 

もはや笑うしかない。「はっはっはっ・・・は~ぁ」・・・もう笑う気力もない。

 

 

 

18. そして・・・ついに?!

 

もっと早くこの番組が放送されていれば・・・。そう思わずにいられなかった。

 

出産直後は母親はホルモンの関係で不安定になるとは聞いて知っていたけど、
まさか攻撃的になるなんて知らなかった。

 

それを知っていれば理不尽に思える怒りをぶつけられても「あ~、ホルモンのせいだから仕方ない」と受け止められたに違いない。妻が気がすむようにただただ謝ることだってできたに違いない。

 

考えてみれば、子供が生まれて小学校に上がるまでの、最も可愛く、最も長く一緒に居られる、最も幸せだったろう時期は過ぎて去ってしまっていた。

 

今までの子供のことを思い出そうとすると、それ以上に辛かった日々が連鎖的に思い浮かんで来てしまう。

 

夫婦で散々傷つけ合ってしまった。お互いもうボロボロだ。

修復はもう不可能かもしれない。

 

妻は相変わらず不機嫌を撒き散らしている。
私は家が居心地悪くて仕方ないから、家にいても顔を合わさないように寝てばかりいる。

 

そんな調子だから、さらに妻は苛立ってゆく。
そしてとうとう先日また大喧嘩をしてしまった。
これは久々にでかい喧嘩だった。

 

妻が「離婚だ!!もう我慢できない。あなたのご両親を呼んで話す!!」と言い始めた。

 

ついにジエンドか・・・・。

 

次の日私の両親を交えて話あった。両親とはいっても、二人とも老人だ。

 

年老いた両親にこんな形で心配をかけてしまって本当に申し訳ないやら、情けないやらで・・・。

 

子供達を3階に追いやってから、妻はこれまでの経緯や自分がどんなひどい思いをしてきたかを、妻の目線で話し始めた。

 

それを聞くと私の目線で見てきた経緯とはかなり違って聞こえた。
しかしそれは嘘ではなくきっと妻にはそう見えていたのだと思う。

 

考えてみれば子供が生まれてから、夫婦でゆっくり話してこなかった。いつも喧嘩になってからそれぞれの言い分をぶつけ合うばかりで・・・。

 

お互い感情的になってしまっては解決できる問題も解決できない。もっと普段から話していれば避けられた喧嘩もあったに違いない。

 

妻の話を聞き終わってから、これまでの経緯を私の目線からどう見えたのかも話した。

 

前から両親は私がなぜうつ病になったのか不思議がっていたから、説明するいい機会になったとも言える。

 

両親は妻が離婚したいと言い出したことに、ショックを受けたように見えた。

 

離婚となったら孫とも疎遠になってしまう。両親にとっても他人事ではない。

 

子供達は何もわからず3階でテレビを見ていて、笑い声が聞こえてきた。

 

私は最後に自分の思いの丈を妻にぶつけることにした。

 

「お前がどれほど辛く感じてきたのかよくわかったよ。つらい思いをさせてしまったと反省している。さぞかし辛かったんだろうと思う。可哀想だとも思う。

 

しかしあのカウンセラーが言ったように俺が一方的にその感情に共感して受け止めるということは出来ない。

ましてやお前が望むように一方的に謝罪することなんて出来ない。

 

そのやり方では俺が保たないからだ。現に保っていない。

 

「俺が保たない」って言うといつも「自分のことばかり!!」ってお前は言うけど、そんなことを言っているんじゃない。

 

俺が保たないっていうことは、夫婦が保たないってことだ。夫婦が保たないってことは家族が保たないってことだ。だからそのやり方じゃダメなんだ。

 

逆も同じで俺が救われても、お前が救われないんじゃダメなんだ。お前が救われないってことは夫婦が救われないってことだ。夫婦が救われないってことは家族が救われないってことだ。だからそれもダメなんだ。

 

だからお前も俺も救われるやり方でなければダメなんだ。

 

でもどっちかが感情的になってしまったら、それを受け止めることなんてどっちも出来ないだろ?!。 

 

俺も受け止めてあげられなかったけど、お前も受け止めてくれなかった。どっちも受け止めることなんて出来ないんだ。あのカウンセラーが言うようになんてできないんだ。今までそうだった。そうやって散々傷つけ合ってきたんだから・・・。

 

だから本当は、そもそも大きな喧嘩にならないために、普段からもっと話すべきだったと思う。

 

今回初めて聞こえてきたことがいっぱいある。知らなかったことがいっぱいある。お前だって同じはずだ。それじゃうまくいかなくて当たり前だろ。

 

子供がもっと小さい時はそんな時間作れなかった。でももう子供も大きくなって、二人とも小学生だ。添い寝しなくても子供達だけで寝れるだろ。子供が寝た後に30分でも、15分でもいいから話しをしたら、きっと変われるんじゃないか?もっと分かり合えるんじゃないのか?家族がバラバラにならなくてもやっていけるんじゃないのか?」

 

「なんでそこまで離婚したがらないの?」

 

「そこまでってなんだ。たった30分15分話すだけだろ?何にも失うものなんてない。なんのリスクもないじゃないか。」

 

「・・・」

 

妻も私もそれっきり話さなくなった。

 

それを見て両親がその場をまとめるような話をしてその日は終わった。

 

 

19. 仲直り

 

長女が2歳の時長男が生まれて、もっぱら長女の面倒は私が見ていた。
ある雨の日曜日に、長女がどうしてもブランコがしたいってダダこね始めて、
雨だからダメだって言っても聞かなくて、イヤイヤ期だから仕方ないと諦めて、
近くの公園に二人で行くことにした。

私は傘をさして、娘にはカッパを着させて行ったのだが、当たり前だけど誰もいなくて、でも娘は満足そうにニコニコしていてまっすぐブランコに行って乗った。
そして「お父さん。押して」て言うから、押してあげると、いかにも楽しそうにケラケラ笑うんだ。

雨で静まりかえった誰もいない公園に、娘のケラケラ笑う声だけが響いていて、私は無言で押してあげて・・・、その単調な時間の中でふっと、でもしっかりと感じたんだ。

「あれ・・・なんか今、幸せかも・・・」 

そこはかとなく自分の中で広がるあの時の幸せの感覚が今でもしっかりと思い出せる。あの瞬間、私は間違いなく幸せだった。

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それを思い出すと連鎖的にその他の幸せだった瞬間が走馬灯のように蘇って、
自分の中で木漏れ日のようにキラキラして・・・。

 

この8年間、辛いことも沢山あったけど、確かに幸せでもあった。
いわば「しあわせと不しあわせの間」を行ったり来たりしていた感じだった。

 

辛かった原因には間違いなく妻が関わっていたけど、同時に幸せにも妻が関わっていた。妻が子供たちを産んでくれなければ得られなかったし、子供たちを任せておけるしっかりとした母親だから子供たちは順調に成長して、いっぱいの幸せな時間が生まれた。

でも改めて妻との時間が少なかったことに気づく。
妻との時間をもっと作るべきだったと後悔が浮かぶ。

 

「もうやり直せないのだろうか・・・?」

 

4人で話した次の日、私はいつもより少し早く家に帰った。9時になる前だった。

しかし、居間には誰もいなかった。妻も子供達ももう寝室だった。

 

昨日話す時間を作ろうと言ったけど、やっぱりダメだったか。と諦めて妻が用意してくれていた夕食を食べた。それを食べ終わったあたりに、ガチャって音がして、妻が寝室のある3階から降りてきた。

 

二人で向かい合うのは久しぶりだった。若干緊張した。
向こうも緊張しているみたいだった。

 

「今日は子供達どうだった?、大変だった?」って切り出した。最初は言葉すくなげな妻だったけど、話したいことはいっぱいあったみたいで、いっぱい話した。

少しずつ子供が生まれる前の二人の距離感に戻ってゆくのを感じた。

 

そして30分どころか2時間以上話して、結構な時間になったので、
「今日は話せてよかった。また話そう。」って言って終わりにしようとしたら、
妻が意を決したように切り出した。

 

あのね・・・。本当にもう離婚したいって思ったの。
本当に離婚したいって思ったんだけどね、あなたが私を怒らせるようなことを言ったりやったりするのは、理由があって、その前に私があなたを怒らせていて、その前にはあなたが私を怒らせて、そしてその前には私がって・・・。
何が最初だったかもうわかんないけど、さかのぼってみれば必ずどこかで私も関わっていたわけで・・・。

ここのところ私はあなたが、まだ起きている時間に帰ってきてほしくないって思っていた。帰ってきても不機嫌に振舞って距離を取っていた。だからきっとあなたは居心地悪かったろうなって思って・・・。

本当は、「お帰りなさい」って優しく迎えてあげるべきなのに、それが出来なかったのは私が子供だからだと思うの。

このまま私が大人になりきれないために、離婚しちゃって子供達に寂しい思いさせたり、辛い思いさせたらダメだなって思ったのね・・・。だから・・・。

 

俺も悪かったよ。ここんとこ体の不調を理由に寝てばっかりで。これからはちゃんと生活を正すことにする。

 

そうだね。・・・二人ともお父さんのこと大好きだよ。大好きでいてくれる時期なんて本当にすぐ終わっちゃうよ。大切にしないと勿体無い。

 

本当だ。本当にそうだ・・・。

 

 

・・・簡単だった。なんでもっと早く話す時間を作らなかったんだろう。

まるで憑き物が離れて行くみたいに凝り固まったものが溶けていくのを感じた。

 

 

 

 

・・・おしまい。約8年間の妻との戦争はこれでおしまい。

それから少しだけだけど夫婦で話す時間を作っている。

妻は話すとスッキリするみたいだし、驚くほど毎日いっぱい話すことがあるみたいだから、ほとんどこっちは聞き役に回っている。でもそれでいい。

 

まだ癒えていない古傷はお互いあるけれど、きっとなんとかやって行ける。
いや、やって行く。